韓国ドラマ(黄真伊:ファンジニ)最終回

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KBS韓国ドラマ(黄真伊:ファンジニ)最終回のあらすじ(ネタばれ)です。
妓生(キセン)の統括者 キョウバン(妓生学校)ブヨン

キョウバン(妓生学校)の中では、最高の踊りは生まれないと…、先生を訪ねるファンジニ。
恩返しをしなければ、恩を返せるのは今しかないと言うファンジニ。
顔、衣装に頼らずに、芸だけで、本当の芸人として生きていくと言うファンジニに、その時に恩返ししてもらうと言う先生であった。

川、海…と自然の中に答えを探しに行くファンジニだが…。
道端で、踊って金を稼ごうとするファンジニであったが一銭も稼げない。
どんな踊りをしようとも誰も関心も示さない。
遂に倒れてしまうファンジニ。
先生が通りかかり、弟子が背負って先生の家まで連れて行くのであった。

一方、ブヨンは、他のキョウバン(妓生学校)を回って、教えを請いに来たと各キョウバン(妓生学校)の妓生(キセン)の統括者に会うのであった。

気がついて、また、道端に踊りに行こうとするファンジニに、止めろとそんなことをして何が残るというのだと言う先生。
お前が踊る踊り自体が自慢しているだけなのだと言う先生。

私がどうすればいいのか知っていますか。どこに行けば、本当の芸人になれるのかと聞くファンジニに、どうして私が知っていようかと言う先生であった。

自分よりも優秀な師匠に聞いてみようとファンジニを部屋に連れて行く先生。乾燥した菊を出して、自分が自分の先生に、習う人の道について聞いたときに、この菊を見せてくれたと…。

菊をお湯に入れると、いい香りを放ちながら、菊が開く。
習う人の道は、自分の持っている知識を教えるのではなく、一緒に学ぶものだと教えてくれたと…、芸人の道も同じだと…と言う先生。

これを聞いたファンジニは、民と一緒に生活しながら、学ぼうと、畑仕事をしたり…、いろいろな仕事をしながら、民と共に踊るファンジニであった。

踊りの勝負の時が来た。
ファンジニはまだ来ていない。
ブヨンの踊りが終わる。ブヨンに決定しようと言う妓生(キセン)の統括者達、そこへ、ファンジニが入ってくる。
そんなに遅れたわけではないですねと…。

着替えて来いと言うメヒャンに、このままでいいと言うファンジニ。
舞本を持って来いと言うメヒャンに、舞本はないと言うファンジニ。
舞本がなければ、演奏はできないがそれでもいいのかと聞くメヒャンに、それでいいと言うファンジニであった。

妓生(キセン)の格式と伝統を無視して踊るからには、我々を説得できなければ、破門だ。身体を売る女として一生生きなければならないが、それでもいいのかとファンジニに言い放つメヒャンであった。
それでもいいと言い放つファンジニ。

踊るファンジニ。勿論、演奏はない。
ファンジニの踊りを見つめる演奏者の手が、ファンジニの踊りに合わせて、自然と動き始めるのであった。そして、遂に演奏が始まる。
妓生(キセン)の統括者達の手まで自然と動き出している。
ファンジニの踊りが終わった。

ファンジニの踊りに感銘し、一番最初に拍手をするブヨンであった。

妓生(キセン)の統括者が会議をし、満場一致で決定した。
ふたりを呼ぶメヒャン。
私の次の妓生(キセン)の統括者は、ブヨンとすると言うメヒャンであった。不満はないかと聞くメヒャン。

不満はないと言うファンジニ。
自分が負けたと言うブヨンに、ファンジニが優れていることを感じ、お前は拍手をした。それがお前が妓生(キセン)の統括者に決まった理由だ。その心を忘れるな。それを忘れなければ、素晴らしい妓生(キセン)の統括者になれると言うメヒャンであった。

ファンジニの母が亡くなる。
先生を訪ねるファンジニ。
泣く為に来たと、泣く場所が必要だったと言うファンジニだった。
芸人の道は大変だからどんなに泣いてもいい。
だが、泣いてばかりいてはいけないのも芸人だと言う先生であった。

世間の人を笑わせるのが芸人だからでしょ。今日まで泣いて、また、真の芸人として生きます。また、始めますと言うファンジニであった。

道端で楽しそうに踊るファンジニ。
共に踊る民、楽しそうに共に踊る大勢の民。
ブヨンが馬に乗って通りかかる。
誰ですかと聞く弟子に、親しい友達で、キョウバン(妓生学校)でしばるには、大きな芸人だったと言うブヨンであった。

全ての人が一緒に踊れる世界。残った日々、このチュムパン(踊る際に地面に引く板)の上で生きていく。踊りは終わらないと心の中でつぶやくファンジニであった。

・・・韓国ドラマ(黄真伊:ファンジニ) 完・・・

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